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KT 僕にとって作品とは、例えばこのペンの新しい使い方を発見する、というようなものだとは思っていません。ぼくが見つけたものを「ほら、おもしろいでしょ」と提示することが目的ではない。別の誰かによって発見されうる別の使い方もあるだろうし、ぼくが見出したものは唯一ではなく、あくまでも複数ある可能性の中のひとつであり、作品とは複数から抽出されたサンプルのひとつだと思っています。見る人は、「こういう見方もあるよ」というひとつの可能性を提案されているように思うかもしれません。あるいは単純に笑うだけの人もいるでしょう。そのようにして可能性のスイッチが押されることによって、見た人自身のものに対する見方の回路が変わることはありますよね。別の回路をその人が持ち、その別の回路によって、ペンの次に、例えば新聞を読んだときに政治に対してなにか別の発見をするかもしれない。以前、そんなことを話したら、ファンタジーだと言われたことがありますが、抽象化されたなにかは流通することで遠いところにある別のなにかを変えていく可能性もあるかもしれません。