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一年で一番忙しい日だった。

休み時間にWikipediaみてたら、現在、工事現場などで使われている安全ヘルメット、あれを最初に発明したのはカフカだと書いてあった。……ええッ!? 今年一番驚いた。


1883年に生まれたのは
カフカ志賀直哉北大路魯山人北一輝、ココ・シャネルなど。

ワーグナーマルクスツルゲーネフといった人らはこの年に亡くなった。

日本の年号的には明治16年で、坪内逍遥が「小説真髄」を発表するまであと2年なので、まだめぼしい作品は全然出揃う以前の状態。


カフカが「変身」を書いていたのは1912年10月から11月にかけてだった。この年漱石朝日新聞に「彼岸過迄」を連載中。石川啄木は26歳で死去。明治天皇崩御で年号が大正になった。カフカと同い年の志賀直哉は父親ともめて家を飛び出した。トーマス・マンは「ヴェニスに死す」を発表。この頃「魔の山」の執筆に着手し始め、12年後にようやく完成する。セリーヌは18歳で志願兵としてフランスの軍隊に入隊したところ。「夜の果てへの旅」が書かれるのはまだまだ先。


「審判」は1914年から翌15年にかけて書いていたとされる。カフカ31歳。ハイデカー25歳。サルトルは10歳。時代は第一次大戦に向けて加速中。…その後もまあいろんなことがあって、いろんな人たちが死んでいった。そして1924年カフカ没。1924年は、へえーこんなに、というほど、後々すごく歴史に名を刻むことになる、そういう子供たちがムクムクと生まれてきていた、そういう年だった。