2013-10-19

韓国では、基本的にテーマも何もないような映画は好まれない。好まれないというか、そういう映画は思い切り苛烈な批判の的となる。韓国ではファーストシーンから明確な主題が提示され、徐々にそれを解きほぐしていくような映画が映画としては評価される。つい最近でも、日本人の坂田学が韓国の映画祭に出品した作品が大いに叩かれた。インターネット上の、韓国映画についてのトピックが書き込まれる掲示板は、坂田の映画に対する批判でうめつくされた。それに乗じた、映画それ自体への言及とはまるで無関係な日本バッシングも目立った。
坂田の映画は日本のAV(アダルトビデオ)の影響を強く受けており、その描写の随所にAV的なクリシェが見て取れるが、それらはみな直截的なエロティシズムを剥奪された、なんとも言い難い、脱力したユーモアのようなものを観客に与える。具体例を示そう。坊主頭に無精髭の、メガネを掛けたやや小太りな男性がブランコを漕いでいる。彼はブランコに揺られながら棒アイスを食べているのだが、そのアイスの食べ方というのが、アイスをしきりに口のなかへ入れたり、また出したりするという非常に卑猥なもので、しかもだんだんカメラがズームアップしていき、その口元が大写しになる。それから男性は白い半袖のTシャツを着用している。ただ、なぜか片腕だけ、そのシャツの袖部分がくるくると丸め上げられていて、すごいよマサルさんの肩のようになっている。それらにはとくに深遠な意味などないし、もちろん主題と呼べるようなものも、全編を通じて何も感じられない。あとは、公園にいる鳩とかを適当に撮っているだけのシーンが延々と続く。
テーマのない映画を撮る大御所といえばクリストファー・バトラーである。日本未公開の作品、「The blues of a mouse」ではオランウータンやチンパンジーの本物の頭蓋骨を小道具として用いているのだが、何に使っているのかといえば、その頭蓋骨の顎のしゃくれ部分を、靴のつま先に見立てて写しているのだ。はっきり言って全然意味がない。しかも骨はどう見ても骨でしかなく、靴のつま先にはとても見えないのが切ない。


以上、今朝夢でみた文章を可能な限り再現してみた。