2013-01-19

先週くらいから調子が悪い。全くもって不運続きで、いやはやほんとに疲れるねぇ、といった感じ。要領を得ない書き方だけれど、とにかく一言で言って、すこぶるブルーなのである。

咳も止まらないし。日記など書いていないで早く寝たいのだが、まあ、今夜のところは、時間の許す限りここに留まることにしよう。仕方がない、差し当たって、日記を書く時間が今日は残されているのだから。まだマシな方だと言わねばならない。

とはいえ、例によって書くことは何もなく、現時点では何もなく、これから、書きながら何が出てくるのか、自分自身でそれを見極めていく、極度に面倒くさい作業をおっぱじめるとしよう。

と、威勢の良いことを書いてから三十分程経過した……。今日はもう、無理かもしれない。今日も、と言うべきか。

コクリコ坂からをdvdで観たのだけれど、いや、良かったです。地味だけども、僕は良いと思いました。
……って、小学生の読書感想文かという語彙のまずしさに我ながらウンザリするが、でも、僕がこれを観ながら感じていたのは、この主人公の女の子は何でこんなに元気なのだろう?という、映画そのものとは直接関係がないような事柄について。
主人公の海は、自宅兼下宿みたいなところで暮らしており、毎朝そこで下宿人全員の朝ご飯を作る。それからたぶん後片付けとかもしてから、学校へ。学校が終わるとすぐに帰宅し今度は夕飯の支度。食材が足りないときは、坂の下の商店街まで買い出しにも行く。という、学校に家事に大忙しの高校一年生で、これだけでもう十分に大変、許容量いっぱい、自分だったら疲れ果てて他には何もする気にはならないだろうって感じなのに、物語の進行と共に、さらにもっといろいろな出来事が海の一日には起きて、彼女は特別疲労の色も見せずに、それらをアクティブに、彼女なりのやり方で順次こなしていくのだけれど、これはただ単に若さ故のハツラツさ、ということで済ませられる問題だろうか? 余計なお世話以前の、無用な勘違いだと分かってはいても、やはりこう尋ねたくなってしまう。疲れない? とか、睡眠時間足りてる? とか。
何で君は放課後にそんなにいろいろなことが出来るのか。
勿論、学校や家事は、彼女、小松崎海のキャラクターに付随するものであり、というか物語のあくまでもそれは背景であり、それ以外の出来事こそが物語を展開させていく要素なのだから、それがなければこの物語が物語として成立しない、ドラマが駆動しないのだということは重々承知している。
何もコクリコ坂からに限った話ではなく、あらゆる物語はすべからくそうである。
学校行って帰って寝るだけではドラマにならない、お話にならないから、出来事が起きる。登場人物の肉体的疲労など考慮していては駄目なのだ。とにかく元気だ、元気であることが肝要だ。元気があれば何でもできる。

どうしても、そういう視点から物語を見てしまう、というのはある。わりと昔からそうだ。
小学生の頃にドラえもんを読んでいたときから、のび太って全然怠け者じゃないよなあ、とか思っていたような気がする。放課後めっちゃ活動してるし。
ドラえもんはマスターピースだが、もっと、ただ部屋でゴロゴロしているだけの、何処にも出掛けない、何も起きない話が読みたい、とも思っていた。


以上、何も考えずに文章を書くとこんな感じで取り留めもなく、支離滅裂なものになる、という一例でした。