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ART iT オブジェを使うビデオ「すべてはすべてである」を見ていると、日常的な生活において我々が持っているオブジェに対する先入観を壊して、新しい価値を作る行為をしているのだと感じます。プラスチックのコップを握りしめているところを見ると、たしかに気持ち良さそうだというか、誘発されるなにかがあります。普段は日常的な生活においてプラスチックカップに出会うとそれに対する固定観念があるので、水を入れて飲むか、処分するか、洗うか、カップに対する行為の選択肢はそうしたものによって決まっています。

KT 当時、台北ビエンナーレでこの「すべてはすべてである」を観た人から、子供の頃にやっていた行為に近いという感想を聞きました。子供の頃は、初めて使うモノについて、その慣習的な使い方を知らないから、それがどういうものであるのかを身体を使って試していく。つまり、言語的にではなく、とにかく身体的にまずは理解して、モノの利用法に気づいていく過程がある。たぶんこの作品はそれに近いのかもしれません。自分たちがまだモノに対して先入観を持つ前の状態、子どもの頃に身体を使って試していたときの記憶に近づいていく。そういう意味ではまったく新しい方法を探しているわけではなく、既知の感覚を確認する行為に近いのかもしれない。だから、実際の撮影ではもっとたくさんの試みをしたけど、考えすぎたアイディアや狙いすぎのアイディアは、編集のときにカットしてしまいました。モノを前にしてアイディアが思いついてから行為に至るまでの時間が短いものが多く収められています。行為によってはほとんど何もしていないような、ただテーブルを持ち上げて下ろす、といった行為も含まれていますね。意図があるようなないような、確実な判断が自分の中に出来上がる前にひとまずやってしまう。瞬間的な反応、そうした行為の集合体のようなものですね。