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まずは腹ごしらえをしよういうことになってHさんが前から目をつけていた美味しいらしいと評判の蕎麦屋へ向かった。

おすすめのせいろそばを頼んでたしかに美味かった。

カウンター席に白いハンチング帽をかぶった初老の男性がいてそばを啜りながら瓶ビールをごくごくと飲んでいた。
「暑い夏の昼日中からビールを飲む幸福に勝るものはないね」
初老の男性が僕の視線に気付いて笑いかけてきた。 異論はない。

結局Hさんにデザートまでご馳走になった。

通りには強烈な日射しがまんべんなく照りつけハレーションを起こしているかのように白く吹っ飛んだ景色。

十分と歩いていられず逃げ込むように特に興味もない洋服屋に入店してしまった。
Hさんはものの十分足らずで男性店員に勧められるがまま” Life is journey” と描かれた結構なお値段のTシャツを買わされていた。

喫茶ふらふらの存在を僕に教えてくれたのは他でもないHさん。
ゴルゴ13が全巻置いてあってスイカだかメロンだかのシャーベットを注文したらそれが完全に腐っていたのだと聞かされて興味を持った。

こうして二人で訪れるのは久方ぶりだった。
僕はアイスコーヒーをHさんはコーラフロートを注文した。
マスターが製氷機から取り出した氷をアイスピックで突っついて氷を砕くと、砕けた氷が物の見事に四方八方へ飛び散った。
床に落ちたその氷をアイスコーヒーにいれたりはしないよね?
……大丈夫だった。

それからぼんやり煙草をふかしたり三國志を読んだりして過ごした。

と、急にHさんが口を開いた。

「最近ゴキジェットを買った。ゴキジェットにはゴギブリの心肺機能を停止させる成分が入っていてそれがゴキブリを死に至らしめる。でもそんな強力な成分なら人間にも何らかの害があるのでは? というのも最近ゴキジェットの液が噴霧した際に垂れて指に付いてしまったからなんだけど。その瞬間なぜか本能的にヤバイ死ぬかもしれないと思ったんだよね。不安に駆られてすぐパソコンを開いてインターネットで調べてみたよ。もちろん手はしっかり洗ってからね。その結果ゴキジェットの煙を人間が吸い込んでしまったとしてもその成分は体内できれいに分解されるから全くの無害であるとのことだった。つまりゴキジェットにはゴキブリにのみ効果を発揮する殺傷成分しか入っていないというわけだ。本当かよ。ウソくさい。だから今度山に行ってカブトムシにゴキジェットを噴霧したらどうなるか試してみようかと。どちらも木にはりついているという点で生物としては同格だと思うし。ゴキブリホイホイは余り効果を期待できない。子供騙しのようなもの。昔ゴキブリホイホイの中にミロの粉を散布してゴキブリをおびき寄せようとしたことがあるのだけれどやって来たのは鼠だった。その鼠はゴキブリホイホイの中でひとしきり暴れたあと猛スピードでまた出ていった。ゴキブリホイホイを単に粘着テープでゴキブリを生け捕りにする装置だと思っている人がいるけれどそうじゃない。ゴキブリホイホイの中にはゴキブリを殺すための毒素が塗り込められている。ゴキブリには自分の足を舐める習性がある。ゴキブリホイホイの中を通過したゴキブリが足を舐めたときその毒は効果を発揮するというわけだ」

Hさんの話を聞ききながらふと横を見やるとすぐそばの磨りガラス上でゴキブリが今まさに自分の足を舐めている真っ最中だった。
全長三センチくらいの小さなゴキブリだったので、「ここにかわいらしい赤ちゃんゴキブリがいますよ、ほら」とHさんに指差して教えてあげようと思った。

「これはチャバネゴキブリといってこれが成虫。昔はよくこれを裏拳でつぶしていた。今はさすがに無理。そこまで無神経ではいられなくなった。ちなみに家でよく見かける黒くてデカイやつはワモンゴキブリという。飲食店などに多いのはこのチャバネゴキブリ。あっ、もう一匹いる!」

僕たちは店を出た。

「しかしさっき買った”Life is journey” Tシャツだけれどこれはよくよく考えてみるとかなりダサいのではあるまいか。人生は旅。この上なく陳腐な気がしてきた」

「Hさん前に別府で ”毎日が地獄です” Tシャツ買ったじゃないですか。あれ着てないでしょう?」

「あんなものは恥ずかしくて外では着れないよ」

「だったら部屋着にでもすればいいじゃないですか?」

「そんなもの着て一日中いい年をした息子が家にいたら親は心配よ」

「そうかなぁ。せっかく買ったのにもったいない」

「あ!」

「え、どうしたんですか?」

「ほら、あそこの店!」

「……あ! ”毎日が地獄です”Tシャツを着た恰幅のいい女性がお洒落な洋服を物色している!」

「しかも赤地に白の文字で目立ちまくりだ。あの人がどんな服を買うのか興味あるなあ」

「それより一服しましょうよ」

「たしかに。疲れたしここでちょっと休憩しよう」