神の視点

大分市美術館に夏休みの特別展みたいやつを見に出掛けた。外は、今日が夏の最初の一日だと言わんばかりの素晴らしい陽射し。


美術館では光をテーマにしたインタラクティブ・アートをいろいろと体験できた。
手をかざすと、そこに落ちた影に反応して音が鳴るテーブルとか。
中でも面白かったのが、『お話の大系』だったか『物語の大系』だったか、たしかそんな題名の作品で、モニターに地図(大陸?)が映し出されている、そこにはファミコンみたいなわりとしょぼいグラフィックの人みたいな奴がいて、ある者は牛か何かの獲物を仕留めて運んでいたり、ある者は海に船を漕ぎ出そうとしていたり、離れ小島みたいな場所では二人の人物が喧嘩をしていたり、といった具合にそれぞれが思い思いに勝手な動きをしている。その動きは互いに関係していたり、していなかったりする。モニター上に置かれた虫眼鏡で観客は自分の気になった奴を拡大して観察することができるようになってる。夏休みの自由研究でやったアリの観察を思い出す。どうやらこの作品は5分程のループ構成になっているようだった。更に発展させたらかなり凄いものになりそうな気がする。
観客に与えられているのは神の視点で(そしてこの作品をプログラミングしている作者もおそらく全てをコントロールしているという点で神の位置にいる)、一気に全体を把握することは出来ないが、見ようと思えば(時間さえかければ)観客はこの箱庭的な世界の全てを見ることができるようになっている。けれども世界はふつうそういうふうにはなっていない。世界は自分の見えない場所にも当然ある。そこに存在するもの、そこで起こる出来事、それら全ての複雑に絡まり合う現象を把握することは出来ない。視点は常に限定的で、なおかつそれは交換可能なものでしかないということの方が、暫定的に与えられる神の視点よりも重要なのではなかろうか。それよりもむしろ、限定的な視点のひろがりの中でこの世界の重層性や複雑さを予感させること。
森を歩いている。視界に入る木々や鳥や光線だけでなく、目に見えない自分の足元(地中とか)にも無数の生物がいるということをどうすれば表すことができるのか…。
とはいえ、個人的にはこの作品は結構好きなのだが。やはりこういう全能感ってゲーム世代のリアリティというやつなのだろうか?僕もなんだかんだでゲーム世代だからしかたないのかも。