チェンジリング

■クリント・イーストウッド監督作品。
この人ももう79歳か・・・。
精神的に堕ちたときには決まって『ペイル・ライダー』を見て涙する自分にとって、イーストウッドはいつまでも不変の若さと強さを持つ男なんだよなー。

もちろん近年の作品を観れば、映画監督としての彼が衰えてなどいないことは明らか(66歳のときに35歳も年下の女性と再婚して子供までもうけている位だから、肉体的にもまだまだイケイケなんだろう)。
で、今回の『チェンジリング』もイーストウッドらしさみなぎる濃い映画に仕上がっていて、嬉しくなった。


イーストウッド監督の処女作は『恐怖のメロディ』という映画で、これはイーストウッド演じるラジオのDJがファンの女(ストーカー女)にナイフで切り付けられたりして、彼女からこっぴどく傷めつけられる話。
この「こっぴどく傷めつけられる」という行為がイーストウッド映画のテーマだということは、彼の監督作品を追いかけていけばハッキリする。どの映画にも様々なバリエーションで、必ずといっていいほど「傷めつけられる」行為が描かれているからだ。

チェンジリング』にも当然それは当てはまる。アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公は警察や精神病院という権力から、精神的にも肉体的にもこっぴどく傷めつけられる。ネタバレになるため詳しくは書かないが、この映画では子供たちもそのような行為の対象となってしまっている。
この一貫性こそがイーストウッドの映画作家としてのしるしである。
と同時に、イーストウッドはドMである。という証にもなっている。
彼は傷めつけられるという行為に快楽を感じる。自分が演じていない場合でも、傷めつけられている演者に同化して気持ちよくなれる。
蓮実重彦の言うように、<映画作家としてのイーストウッドは、語の正統的な意味における「変態」なのだ。>


■体の一部に傷を持った男が登場するのもイーストウッドの映画の特徴で、『ペイルライダー』の牧師や『許されざる者』の農夫がそれに当たる。
今作にも顔に傷のある刑事が出てくるが、彼は腐りきった警察のなかでの唯一まともな人物。というか、事件を解決の方向へと導く特別な存在として、物語の中盤いきなり登場する。牧師や農夫のように銃こそ撃たないが(刑事のくせに)、彼だけがこの映画の中でハードボイルドな野郎として描かれているのは、格好良い。彼だけがこの映画でタバコを吸うし。

で、このハードボイルド野郎と、主人公のアンジェリーナ・ジョリーのエピソードが並行する形で映画は進む。そして距離を隔てた二つの場所で起きた出来事がやがて一つにつながるわけだが、これは、主人公の職業が電話交換士であるということを考えれば必然的といっていい。なぜなら電話は距離を隔てた二つの場所(人)をつなぐものだからだ。
あとこの映画には電話で会話するシーンが多いというのも、それと関係があるのかどうか(たぶんないだろうけど)


■『チェンジリング』は20年代のロサンゼルスが舞台なので、当然電話は古い。車もそれほど走ってない。
その代わりに(?)路面電車が街を走っている。アンジェリーナ・ジョリーはこの路面電車に乗って毎朝通勤している。窓外をながれる風景がとてもきれいに映されているそのシーンは、劇中数少ない幸福な一コマかもしれぬ。そこに座ってさえいれば、決められた場所に運んでくれる安心感。
チェンジリング』における路面電車は幸福の象徴として存在している。ような気がする。
それとは逆に、車はネガティブな象徴として出てくる点は興味深い。息子とは似ても似つかない息子(と名乗る少年)とアンジェリーナ・ジョリーが帰途に着く際、乗っていたのは車だった。そして犯人が悪事を働く際に使用していたのも、やはり車。
20年代までのアメリカは路面電車の国だった。しかし石油資本によって路面電車会社が買収され、あっという間に車社会になってしまったのだそうだ。

4月にはイーストウッドのさらなる新作『グラン・トリノ』が公開される。グラン・トリノっていうのは50年代のアメ車の名前らしいけど・・・路面電車の次にそれかよ!